(第13回)大菩薩峠登山と富士山眺望(山梨県) - 心に残る日本の旅/温泉、ローカル線、宿 (井上晴雄)

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(第13回)大菩薩峠登山と富士山眺望(山梨県)

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富士山を眺望できる山梨県の日本百名山
~「大菩薩峠」(山梨県塩山市)~

 

大菩薩峠は、山梨県北東部、塩山市にある峠路である。武州の多摩川筋から富士川上流の笛吹筋へと抜けるこのルートは、かつて江戸時代には青梅街道の難所の一つとして知られていた。当時の人々は、関東平野から2000m近い標高を数日かけて旅して甲府盆地を往来したわけで、大変な労苦があったろうが、現在では、柳沢峠を越える新道が開通し、比較的便利に登山を楽しめるようになった。



 JR中央線塩山駅から大菩薩峠登山口行きバスで約25分。夜行を乗り継いで登山口に到着したのは早朝だった。準備体操をした後、登山マップを片手にスタート地点を確認する。それに該当する裂石は標高720m地点、登山口付近の民家の集落だった。


そこから芦倉沢の流れに沿ってジグザグに延びる登山道を登っていくと、上日川峠へと達する。
紅葉、透き通るような青空、澄んだ空気は気温6度。
もみじの落ち葉をカサカサ踏みしめながら早速、登り始めると、ミズナラやブナの木々が黄金色に色付いてい
た。
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そんな山道を1時間ほどかけて標高1400m地点まで向かう。登るにつれ次第に朝日が樹間より差し込みはじめ、黄色のブナ林にもみじの紅色も添えられていった。
正に錦色のトンネルと形容するに値する見事な山道がしばらく続いた。 1600m地点より、両脇にクマ笹の生い茂る急な坂道へと一変した。ジグザグに続くその山道は見栄えがあまりしないものの、低木ばかりで見通しが良く歩きやすかった。



 上日川峠の標識と共に、ロッジ長兵衛の三角屋根が見えたのは登り始めてから2時間後のことだった。小屋の中に入るとストーブを囲んだ休憩所があり、その横には売店があって、林檎や葡萄製品の土産物を販売していた。中でも山梨銘菓の葡萄菓子「葡萄の雫」や太目の煮込みうどん「ほうとう」などが人気を博していた。外には何故かりんごも販売されていた。近くに農園があるのかもしれない


 ロッジ長兵衛より再び笹の山道に入り、20度程の緩やかな勾配が続いた。ブナ林を10分ほど登った時、「わあ、これはすごい!」と後方から歓声が起きた。何かと思って振り向くと、朝日を受けてくっきりと浮かび上がる見事な富士山の雄姿。今回初めてみた富士山、しばらく歩くのを忘れて見とれてしまった。
 そこからアップダウンの坂道を20分ほど進んで、福ちゃん荘に到着した。気温は 2度まで下がり、足下にはつららの混じりの黒土や凍結した水溜まりが現れはじめた。そこで登山靴にアイゼンを装着した。


 福ちゃん荘からは、唐松尾根の道が分岐し、その先の富士見山荘からも富士見新道が分かれていた。いずれに進んでも大菩薩峠の稜線上に導いてくれるのだが、当日は積雪の度合いを推し測って、三介庵より大菩薩峠へと延びるルートを取ることにした。左右の視界は深い杉の木々で覆われ、足下も砂利道から次第に本格的な雪道になっていった。ごろごろした大きな岩が時折現れたり、勾配が大きいポイントもあることから、歩きにくさでいえば当ルート最大の難所と言えるだろう。


 福ちゃん荘を出発してから約1時間半、標高1897mと書かれた大菩薩峠の標識が雪に埋もれるように立っていた。そこが目的地の大菩薩峠介山荘だった。視界を360度遮るものがないこの大菩薩峠からは、3000m級の南アルプスの山々が一望できた。そして、大菩薩嶺へと続く稜線上に立ったとき、再び、雪化粧をした富士山の雄姿。ここまで登ってきた甲斐があったと思える瞬間だ。大菩薩峠は、多くの山道が合流する要所であり、文人中里介山の文学碑や、土産屋もある。もちろんお茶を飲みながら座って休む場所もある。


 1885年、多摩川畔の羽村に生まれた文豪中里介山」は、1913年より1941年にかけて長編小説「大菩薩峠」を著した。独自のユートピアを掲げた介山の思想は、幕末を舞台に虚無的な剣士机竜之介を主人公とした人生流転の物語として映し出された。その一巻の冒頭は次のような下りで始まっている。「大菩薩峠は江戸を西に距る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。標高六千四百尺、昔、尊き聖がこの嶺の頂きに立って、東に落つる水も清けれ、西に落つる水も清けれと祈って、菩薩の像を埋め置いた・・・」100年近く前、こうして書かれた介山の長編小説がこの山の名を一気に有名にした。


訪れたのは10月下旬。最高地点の大菩薩嶺に続く稜線上には、ススキ野が銀色に光り輝き、遥かには、青空に浮かび上がるように富士山と南アルプスの山々が一列に並ぶ大パノラマが広がった。介山は100年前この風景から何を得たのだろうか?しかし小説は未完で終わっておりその結論は誰も知る由がない。


 介山荘まで来たら当コースの見所は全て押えたといっても過言ではないが、もう少し先の三角点まで行ってみることにした。岩がごろごろと点在する道を登ったり下りたりすること40分ほどで左手に雷岩と呼ばれる巨大な岩石が見えた。この地点は、当ルートでも絶好の撮影スポットであり、眼下にダム湖や草原、正面に富士山と南アルプス、右手に八ヶ岳連峰や五丈岳を一望できた。大菩薩峠付近より開けているので、ここまで来るなら、お弁当を広げる場所としてはここが一番お勧め。


 雷岩からは、賽の河原と呼ばれる瓦礫の下り道となる。目の前の山小屋を過ぎると、鬱蒼としたツガの原生林へと入る。木道を10分程歩いた先、視界の途切れた樹間に、「2057m」と書かれた大菩薩嶺の三角点がポツリと立っている。ここが折り返し地点になる。付近は見通しも悪く、弁当を広げる場所も見当たらないためか、ほとんどの方が、記念写真を撮影して元来た道を戻っていた。
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 今回は、裂石から大菩薩峠を経由して、大菩薩嶺に向かうルートを歩いた。往復9時間近くは要し、中高年にとっては少々厳しいコースかもしれない。しかし、明るく開けた稜線歩きや、富士山や南アルプスの眺望など見応え十分。足に自信がなかったり、日帰りの予定で、ルートを短縮したい方は、マイカーか貸し切りバスで福ちゃん荘まで登ったら良いだろう(ちなみにタクシーはロッジ長兵衛と福ちゃん荘にて呼ぶことができる)。なお、言うまでもないことだが出発する日の天候は晴れに越したことがない。私はこのコースを今までに5回登ったのだが、特に歩く距離が長いことと足場の不安定さもあって、その良し悪しによって辛さも随分左右された。殊に大雨が降った翌日に登った時などは予定していた道が通行止めになっていて困ったこともある。そんなことも考えて2つの山小屋と介山荘を基点に幾つかのルートを調べていくと良いと思う。




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