(第11回)吉野川上流にある大川村(高知県) - 心に残る日本の旅/温泉、ローカル線、宿 (井上晴雄)

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(第11回)吉野川上流にある大川村(高知県)

120.jpg121.jpg       「吉野川上流のまち、大川」

 四国を代表する河川のひとつ吉野川は、徳島県の中央部を貫流して紀伊水道に注ぐ一級河川である。四国山地中を上流に遡っていくと、四国山地を横断して阿波池田市に入り、そこから北に流れを変えて、奇岩怪石が立ち並ぶ谷を形成する。
徳島県の県境を越えると、もうそこは高知県である。その最上流に嶺北とよばれる土地があるのを皆さんはご存知だろうか?今回はその北端に位置する大川というまちに足を運んできた。



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 JR土讃線の列車は短いトンネルを抜け、次は、鉄橋を渡りしながら深い緑の中をゆっくりと走っていく。窓外にはエメラルドグリーンの吉野川が迫ってきた。奇岩怪石が屹立する大歩危・小歩危渓谷を通り過ぎると、川幅は一層狭くなり、緑色岩が分布する界隈になっていく。
JR大杉駅で列車を降り、バスに乗り換えた。川はエメラルドグリーンの色を濃くしながら、右に左に展開していった。バスは30分ほど走り、終点の田井で降りると本山という集落が開けていた。作家大原富枝の出身地で知られている町。

 

田井停留所で大川に向かうバスを待った。数時間待った挙句、乗客は私ひとりだけだった。それだけ過疎化が進んでいるのだろうか。「もうこの路線に10年以上乗っとるんじゃが、見事な景色に毎日嬉しくなるんじゃ。」運転手さんが、そんな淋しさを忘れさせるような楽しい口調で話しかけてきた。
しばらくバスは山間部を縫うように走り、ブナの原生林の向こうに湖らしきものが見えてきた。高度が高まるにつれ次第にその全貌が現わになり、地図を広げると「早明浦湖」と書かれてあった。


湖岸には民家どころか人っ子ひとり見あたらない。バスは湖に架かる赤い鉄橋を渡り、湖面に、山稜と青い空がくっきりと映しだされた。
爽快な景色。息を呑んでいる間もなく、次は青い鉄橋が近づいてきた。湖を周回するようにバスは湖岸を滑走し、私も左に右にと座席を移動しながら夢中でその風景を眺めた。
太陽に照らされて湖面がキラキラ輝き、山の陰に入ったときは深い青色に静まり返る。まるで、色彩豊かな山水画か何か見ているようで、心が踊った。



 早明浦湖を形成しているのは、昭和48年(1973年)年に造られた早明浦ダムである。貯水は全長19kmに及び、その規模は四国最大級を誇る。現在は「四国の水がめ」として都市用水、農業灌漑、電源開発、洪水調整などで活躍し、観光スポットとしての役割も期待されている。


 早明浦湖を遡っていくと、山の斜面に小さな集落が現れはじめ、終点の大川というバス停で降りた。山の方から鶯のさえずりが聞こえてきた。
 この界隈は大座礼山(1587m)、黒岩山(1341m)など1000mを越える山々に囲まれ、急峻で平坦地が少ない土地である。付近を歩くと、小さな家々が湖を見下ろすように建ち並んでいた。
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「大川の歴史は長いきぃ・・。」運転手さんが話していたのをふと思い出した。調べてみると、その通りで、大川には縄文時代から人が住んでいたといわれている。石鎚信仰に関連のある釈善が訪れた記録、シレイ遺跡から青磁蓮弁文碗が出土したという記録、石鎚山信仰にまつわる聖たちのすまいだったという学説もある。中世になると源平の合戦に敗れた平家が落ち延び、住みつくようになる。当時の長宗我部氏による検地記録には楮、茶、麦、栗、小豆、蕎麦などの栽培が行われていたと記されている。また、この地域の山間部は国境に近く、道番所が置かれていたのも特徴で、庄屋が村政を司る役割(名本)に任じられて道筋の厳しい警備を行っていたようだ。



江戸時代に入ると、村人の生活は山林が主流だったものの、藩の御留山が大半で、木々を好き勝手に伐採できなかったことから、細々と薪炭の製造が営まれる。そのころ鉱業が発展し、小麦畝では銀、大北川や朝谷では銅が掘られ、中でも元禄12年に幕府に採掘願が出された大北川銅山においては、土佐で初めての本格的な開発が行われた。現在でも交通不便なこの土地に、610人もの銅山師が上方からやってきたというのだから、よほど大掛かりな作業だったに違いない。しかし、昭和47年に160年近くの歴史を誇った白滝鉱山が閉山したのを最後に、銀や銅の採掘は終焉を迎えることになる。
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 それから時代は現代へ変遷していく。昭和53年の早明浦ダム竣工によって村の主要集落が水没したことも重なり、一時期、集落は存続の危機を迎えるものの、林道が整備され、白滝地区及び早明浦ダム周辺を中心に、ミズナラ、ブナ、イロハモミジ、ヤマザクラなどの植樹・保育作業が行われるようになった。再び森が育った。小道にはスミレ、タンポポ、ナズナ、山路にはコブシ、ツツジ、山桜などが花を咲かせた。鶯のさえずり、木々のざわめき、風の音。
「ここあたりはブラックバスが釣れるきぃ、長いこと泊まっていくお客もいるんじゃ。」淡水魚も育った。数百年かけてできた歐穴、銚子の滝、翁の滝、妃ヶ淵など観光的なスポットにも次第に人々が訪れはじめた。


 肉用牛、玉緑茶、どんぐりせんべい、かりんとうといった土地ならではの特産物も充実している。中でも大川黒牛は有名で、毎年11月3日に開催される「謝肉祭」には県外からの観光客も含めて2000人以上が集う一大行事となっている。祭当日は、大川黒牛肉をつかったバーベキューが食べ放題で、まちが一年で最も賑わう日となる(大人5000円、子供3000円/要予約)。
その他、「白滝子ども自然王国」では毎年、小学3年生から6年生までの児童を対象に「ふるさと短期留学」が行われている。夏休みの一週間、地元の子供たちと交流を深めたり、テント張りや野山での自然観察を体験できる。都会の子供たちにとって、一生に残る貴重な思い出となることは間違いないだろう。




 当日は役場西隣にある旅館筒井に泊まった。若いご夫婦とおばあさんが笑顔で迎えてくれた。
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「こんな山の中だきぃ、何もあらせんが、どうぞゆっくりしていってくださいな。」そんな言葉が似合う、アットホームな雰囲気の宿だった。夕食は大川黒牛の焼肉と地元ならではの旬の野菜を使った料理が膳を彩った。
客をもてなす心温かさ、そして豊かな自然に育まれた風土の香り。それらがひしひしと伝わってきた。 i126.jpg



 夕方、湖が西陽で輝きはじめたころ、住民たちは軒先に出て掃除をしたり立ち話をしたりしていた。野山に遊びに行った子供たちもあちらこちらから賑やかに帰ってきた。太陽が山の端に隠れると、涼風が吹き、湖面が柔らかな光でなびく。淡く赤らんだ空は次第に深い藍色へと変化していった。気が付いたら湖岸には誰もいなくなっていて、家々の明かりがあたたかく点っていた。

何でも揃っているかのように見える都会が失ったもの。そのひとつは、そんな何でもないひとときかもしれないな。ふと、そう思った。
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大川村事業課(0887-84-2211)
大川村教育委員会(0887-84-2211)
旅館筒井(0887-84-2204/一泊二食付6300円~)
(交通)JR大杉駅から高知県交通のバスで終点田井下車、嶺北交通のバスに乗り換えて大川下車
(本数が少ないので注意)






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