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(第9回)青いレモンの島(愛媛県) - 心に残る日本の旅/温泉、ローカル線、宿 (井上晴雄)

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(第9回)青いレモンの島(愛媛県)


 

 「岩城島」

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 紺碧の海の中に、レモンを半分に切ったような形の小島が近づいてきた。
フェリーの白いしぶきが桟橋の根元で渦を巻いた。扉が開き、数人の老人たちが談笑しながら降りていく。
朱色のゲートをくぐると、そこには小さな町がひらけていた。

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 愛媛県と広島県の間に点在する芸予諸島。その一角にある岩城島は人口約2200人、面積8.98の離島である。みるみる小さくなる快速船の船影を見送ると、海面のきらめきと空の青さだけが残った。
波は止まったように穏やかだった。やわらかな陽光が雲の切れ間から差しはじめた。

 岩城港付近を歩いてみると、旅館が数軒、役場、喫茶店、酒屋、漁業組合、スーパーマーケットなどが並んでいた。この付近が島で最も開けている界隈だという。都会に住む者にとっては少々物足りなさを感じるかもしれないが、生活の機能がしっかりと揃っている。

港の大通りから路地に入っていくと、集団通学中の子供たちがこちらに向かってぞろぞろ歩いてきた。島の半分近くは高齢者だけに、小学生を見かけるのは甚だ珍しい。すれ違おうと道の脇に反れると、「こんにちは」、「こんにちは」と次々に挨拶してくれた。子供たちの目は驚くほど輝いていた。都会ではなかなか出会えない心温まるひととき。私も「こんにちは!」と満面の笑顔で挨拶を返した。

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 港から徒歩5分ほどの距離にある、活魚民宿旅館よし正に着いた。魚介類の会席料理や、まとまった客室など好評の宿だ。荷物を置いて屋上に上がると、ちょうど島の海側と山側を見渡せた。それぞれの景観には特徴があった。

まず海側は、漁村ならではの瓦葺きの民家が多く見られた。海岸沿いにはたくさんの釣り船。岩城島の海岸部は浅瀬と深淵が入り組んでいて良い漁場がたくさんあると聞くから、彼らは魚を庭に飼って生活している感覚に近いのかもしれない。
次に山側に目を向けると、急峻な積善山(307m)を中心において、その斜面に民家が密集するように建ち並んでいた。岩城山は山林が多く、その占める割合は43.6%と高いことから、狭い平野部をうまく生かした建てられかたなのだろう。



 岩城島には現在約2200人の人々が生活している。小さな島だけに島民たちは皆、顔見知りで、半ば一つ屋根の下に暮らしているような感覚なのだという。町を歩いていてもそれを物語るような風景にしばしば出会う。例えば、島民たちは道で誰かとすれ違うごとに、足を止めてしばらく立ち話をしているのだ。「買い物行くんか?」「そうじゃ。今日は魚が安いけん、買いにいくんじゃ。」こんなたわいのない会話でも、無言で多くの人々が往来する都会の日常風景と比較すると、はるかに人間味が溢れていてうらやましく思えた。
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 岩城島は島外との交流も積極的だ。例えば特別島民制度「青いレモンの島」の会員になると(会費1万円から4コースある)、特別島民として登録され、島の特産品が年数回、送られてくるからうれしい。
また、岩城島は、若山牧水や吉井勇なども訪れた風光明媚な島。中央にそびえる積善山は桜の名所であり、春になると3000本もの桜が山の稜線を覆う。頂上には瀬戸内海を360度見渡せる展望台もあり、島民たちは美しい海を大きな屏風のように見立てて生活しているのかもしれない。うらやましい限りだ。


 岩城島の歴史も興味深い。島では昭和38年に小漕で縄文時代後期の土器片が出土したのを皮切りに、縄文時代、弥生時代、先土器時代などの遺跡が次々と発見されている。その頃から巨石を信仰する風習も始まったといわれ、積善山の山腹にあたる妙見山をはじめ、島内には立石が点在している。
平安時代になると、島は石清水八幡宮領となり、製塩業が盛んに行われる。繁栄の一方で、室町時代に入ると大島を根拠地にした海賊に荒らされ、明徳年間(1390~1394年)は因島村上師清の一族、村上敬吉によって支配される。そのとき建てられたのが亀山城である。そのような激動の時代を経て江戸時代を迎えると、島は松山藩領に属し、村高は「慶安郷村数帳」635余石、「天保郷帳」855余石といわれた。石高は決して高くないものの、内海航路の要所であることが注目され、諸大名が参勤交代の折に逗留する本陣が置かれ、旅籠、茶屋が並び、廻船が数多く行き来した。その時期、島は繁栄の一途を辿り、宝蔵寺、祥雲寺、円満寺など様々な寺社も建立された。しかし、明治13年の高潮によって350戸が流失。明治17年、32年の風水害も重なって、島の重点産業のひとつだった製塩業も衰退していく。



 以降、協力体制のもとで島の立て直しが行われ、産業も変遷もしていきながら現代を迎える。江戸時代まで中心だった木綿産業は、明治時代からは桑へ。同時期に除虫菊、タバコなどの栽培も始まる。そして、近年は、温暖な瀬戸内気候と丘陵地の多い地形を生かした柑橘類の栽培に重点が置かれるようになった。
特に皮が青いブルーレモンは島の特産物で、そこから岩城島は「青いレモンの島」との愛称でも親しまれている。島を歩いていても、沿道にはレモンの木が多く見られ、ほんのりよい香りが立ち込めていて心地よい。港に隣接するリモーネプラザでは、レモンケーキ、レモンムースなどを販売しており、人気が高く、その他の土産物では芋菓子が有名だ。これは大正元年、益田谷吉が考案したもので、ほどよい甘さとぱりぱりした歯ごたえのよさが好評を得ている。


 岩城島に滞在したのは2日間だった。路地や海岸沿いを歩いたり、喫茶店に入って島民と話をしたり。短いながらもどこかしら、心の中にゆとりが生まれたような気がした。こんなにゆったりした気分になれたのは久しぶりだった。
理由を考えてみると、いくつかの要素が考えられた。まず、「人々の親切さ」。島の人々は皆、素朴で、笑顔と挨拶を絶やさない。島民と接していると、こちらも自然とリラックスできたし、見知らぬ観光客でも輪に入れてくれる寛大さが何よりありがたかった。
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2点目は、島全体に流れる「時間の遅さ」。路地で何時間も立ち話をしている人々、時間を忘れたように農作物を世話する女性、朝から晩まで海で釣り糸を垂れる老人・・。町を歩いていると、島民のそんな姿にしばしば出くわした。そこには海や山などと一体になって、生活そのものを楽しんでいる余裕が感じられ、それこそ人間の生活の原点ではないかと思われた。

3点目は穏やかな瀬戸内海に守られている「安心感」だった。静かな波、心地よい潮風、時間と共に変化する海面の揺らぎ。そして、その中にある岩城島は、まるで瀬戸内海に浮かぶ宝石のように感じられ、懐かしい「ふるさと」と重なって見えた。




(交通)今治港から快速船47分 因島土生港から快速船23分
(芸予観光フェリー0845-22-2138)
(連絡先など)
岩城島産業振興課(0897-75-2500)
リモーネプラザ(0897-75-3277/月曜休み)
活魚民宿旅館よし正(0897-75-2267/2食付き6000円~/P20台)

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